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最近作

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F100号部分

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第87回春陽展入選作F100号『凛奏』



昨年から思い切って画風を変えた。春陽会に出品し出して、6年目になる。雪舟や長谷川等伯等古人の精神的な気迫に満ちた、水墨画に心酔していた時期で、自作でも和紙に向かいて、抽象的な水墨世界を模索していた時期でもあった。油彩画でこうした、気韻に満ちた、画面を創作できないものかと、公募展向けに模索を開始、その研究の成果を問うたのが、5年前。こうした趣味的な画風は、やはり戸惑いをもってうけとられたのであろうが、描いた本人は『自分の部屋に飾っておきたい繪』を描くのを目指していたので、趣味的な世界といわれても、それはどうでもよかった。絵画的には、空間をとらえる時の、東洋画の平面性をもちいて、画面では、女神的な人物を配置し、画面から発する、精神的な語りかけ(気韻)を定着させたつもりなのだが、、、年々おんなじもチィーフにも限界がきた。様々な、バリエーションを駆使すればそれなりの展開も垣間みることができそうであったが、気持ちの倦みはなんともしょうがない。悶々と時間が流れてゆく中で、己の手を動かす事に専念,クロッキー帳や画用紙に今のおのれの描きたいもの、、、そんな対象探しが始まった。そうして手が自在に動き出せば、それなりにみえてくるものがある。、、、、、そんな時期のあと,真新しいキャンバスに向かって,出て来たものがあった。墨彩画で自由に何の制約もない気ままに描いた時期の感性が、にわかにおりてきて、下絵からいきなり画面に描き出す強い気持ちがでてきた。そうして出来たのが100号二枚。うら寂しい女性と,老年期にさしかかる,男の繪だった。迷いもなく,淡々と仕上げ、昨年秋の春陽会横浜研究会展にはこの二作を出した。二三の会員の先生のほかは、大概にして評判はよくなく、予想した通りの結果だった。その中で,映画をやっている自分の息子やそのデザイナーの嫁さんが唯一、今までの作よりいいと,珍しくほめてくれた。多分画面のなかに、現代性をかんじとったのだろう。10年、20年おんなじもチィーフを繰り返し描く職業作家も居るが、金太郎飴じゃあるまいし、新しいものを書き出すたびに絵が死んでゆく様は、あわれ。あーはなりたくないと、今回の決断はなんら、後悔などしてはいない。会友とて落選の憂き目があるかもしれぬが、それも覚悟の上、そんなことより、こうした気持ちの高揚感の方が今は大事だと思っている。ボットした,先がみえてくるからだ。自分を楽しもう。

まぁーいろいろすきなこと書いたが、画風を変えるという作業は,たいした問題ではないと思う。その世界の評価が固まりかけた人は、我関せずだろうが、その評価だって、人様のもの、、、時間が過ぎれば、また変わるもの、、、。見た目の変化だけで終わる,人も居れば、、、そこから、また引き返し,それなりの充実を回復すればいい話で,絵描きのその個人の資質とは,混沌とした宇宙の砂の一粒の輝きなのだから。本質はかわりようがないのだ。楽器を持ち替え,違うメロディーを弾いてみることも、ときには必要だという話だ。自分が今どんな回廊を進んでいるのか,其れは誰にも分からない。最後に後ろを振り返れば,それなりの足跡がしっかり刻まれている。人から与えられた回廊にはその足跡さえない。あるとすれば,其れは他人の足跡。其れは,悲劇だ。












by bubupapa | 2011-01-17 11:53 | 油  彩  画