お尋ねありがとうございます。画家のごく平凡な日常を綴っております。


by bubupapa
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『青い果実』第一回 散文復刻版

青い果実
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駅前から続くなだらかな丘は、
今住んでる自宅付近を頂上に
バス通りを挟み、また緩やかな切通した坂を
下りたり、上ったりを繰り返し、
N国道を跨いだ陸橋へと道はつづく、
橋を過ぎると、道はK方面とT方面へと二股に分かれる。
Kヶ岡のバス停を少し下ると
右側は禿げ山が赤い土ぼこりをあげている。
ー 昭和37年初夏ー 
放課後から、その周辺の崖っぷちで友人仲間と遊んでいた。
その付近は、朝鮮の人たちが多く暮らしている場所で
地元ではあまり近寄る人は無く
「恐い場所」的存在だった。葦が茂り粗末な、
バラック建ての民家が寄り添うように並んだ地域だった。
すこしこ恐かったが、
近くに小さな湿地が在り、ザリガニが沢山取れるので、
恐る恐る仲間と行ったのだった。
その辺はあの「S兄弟」双児のワルが住んでいるところだった。
兄はわりと大人しいが、弟は凶暴ですぐ喧嘩を売るタイプだった。
友人仲間は、商業地の息子が多く、路地裏ではこちらも、
わりと大人しく無い、やんちゃ坊主を揃えていたので、
いざとなったら、
「S兄弟」双児のワルなど撃退してやるんだと私は思っていた。
季節は春も過ぎ、
若葉が南の風にサラサラ揺れていた。
思った程、ザリガニは採れず
めいめい、不満顔で帰り支度を始めた。
「川で釣りしたほうがよかったな!」「ちっ」。
Dが乱食い歯をむき出した顔で言った。バカ顔のEが
「誰だよーここはザリガニがすげーんだなんて、云ったのは」
私とNが誘ったのだった。
「あいつらがきたらどうするんだよー」
乱食い歯のセリフにあわせるように
やおら、「S兄弟」が向こうから近付いて来ていた。
状況の先行きは見えている。
「もう早くも心臓がバクバクしていた」
近くの保育園の園児の歓声が遠くから聞こえている。



青い果実(其の二) 
いきなりの、s兄弟の登場は鮮烈だった。
学年は一級うえの6学年、私達は5学年。
彼等の存在は知らないものは無く、恐れられていた。
校庭裏にいつも仲間ととぐろをまき、下級を虐めたり、からかったり
悪戯を重ねていた。ゆすりの被害も聞いた事があった。
その彼らが向こうから近付いて来たのだ。
乱くい歯も、バカ顔、さいずち、私、らは身構える。
夕日が傾き、あいかわらず風はなまぬるい。
「おめらーT小学校のーもんかぁー!」
s兄弟の兄貴が口を切る。丸坊主の鋭い視せん。
眼をとばすとは、こんなかんじか。視線がスパッとこちらに刺さる。
弟はポケットに手を突っ込み肩をいからす。
私達は、誰も返事をしなかった。黙っていると、
「聞いてんだよぉー」とカン高い声の弟が、今度は出て来た。
すごい声の威嚇。丸坊主は迫力在る。貧しいものはあの頃
みんな丸坊主が多かった。「返事ねーぞ!聞いてんだよぉー」
「そうです」私が答える。わたしはもうやるしか無いと覚悟を決めていた。
2、3発殴られる覚悟だが、やり返そうと思っていた。こっちは
下級生だが人数は多かったし、それなりのこちらもやんちゃだ。
「おめら5年か?」と乱くい歯のえりをつかんでこずく。乱くい歯が
泣きそうな顔をひきつかせている。
そのとき、考えられない事態になった。
乱くい歯は襟首を掴んだ手をはらいのけ、
道具もほうり出しいきなり逃げ出したのだ。
其れを合図に、バカ顔、さいずちも同じく疾風のように、逃げ出した。
気が着くと私は「双児のs兄弟」と対峙していた。
「ふん!」二人の不気味な笑い。「、、、、、」
予期しなかった仲間の逃走に、私は動揺した。
しかし目の前の「障害」を目にすれば「もうやるしかない」
私は覚悟を決めた。豆腐やの中学生の「せいちゃん」が
いつか言っていた。
「人数の多い喧嘩はボスをやるのが決まり、あとのは
気後れしてかかってこない。」
そんな事を考えたかどうか、わからないが
とにかく、まず凶暴と恐れられていた弟をやる事に決めていた。
「腹を狙ってやる」「みぞおちだ」
「あれは、きまると息が出来ない」「やる気が急速に落ちる」
隣のひでと喧嘩したときあれで勝ったんだ。
狙いを腹に決めた。弟を顔を睨む。
ありったけの、恐い顔で。
そのとき、、、、。私は思いがけず、
瞬間、弟の丸刈り頭の顔に幼さを観た。
目は一重で鋭いが、小さく光る眼は
意外な優しさが見えかくれしていた。
この情景は今も忘れず残っている。


青い果実(其の三)
小学生の喧嘩などたかがしれている。
「腹を狙え」「喧嘩はまず強いものをやる」など
は後年覚えたに違い無いからだ。おそらく何かのきっかけで、
相手を突き飛ばしたり
やみくもに手足をばたつかせたり、幼児がだだこねているような格好で、
すったもんだと、ばたばた始まったんだろう。
相手の腹にパンチがきれいに入る、一瞬からだが折れ、
そこをふりかざしたキレのいいパンチを顎に向かって一発お見舞い。
炸裂。相手は、口から血潮を吐き出し白目をむいて転がる。
是が理想だが事実は、わたしは気が付けば、
相手の首を掴み、片方は顔を掻きむしったり、足をバタバタさせ、
弟は私の髪の毛をわしずかみ、同じように顔を拳で叩いていたのだった。
くんずほぐれず、ゴロゴロ砂地を転げていたのだ。
喧嘩は戦いだ。弱肉強食。強いものが勝つ。
相手は傷を負い、命を落とすかも知れない。
たとえ暴力が伴なわないものでも人間の闘争本能は
いろんな形で日常に現われる。会社のボス争いや出世争い。
学校での番長争い。
レジを選ぶための些細な戦いは日常的だ。
私達少年の喧嘩はそれほど劇的な展開も無いまま
続いて、気が付けば
誰か大人が止めさせたのだろう。はっきりしない。
記憶はこの先でとぎれている。
顔に相手の爪跡が残り私の拳も皮がむけ土で血が黒ずんでいた。
どんな気持ちで家に帰り、
泥まみれの私の普通ではない様子を、
多分親は問いただしたに違いないが、もう忘れた。
どこか川沿いの堤地で、遊んでいたのだろとでも思ったんだろう。
母はその頃婦人会がどうのこうのと、
ふらふらしていて家には夕方過ぎに帰ってくる。
私が左目を怪我をしていた頃、母は身体が弱く、
入院退院をくり返していたが其の頃より、健康を取り戻し
「危ないところへは言っちゃダメ」
「悪い子とは遊んじゃダメ」が口癖の、
口うるさく、とにかくなんでも干渉する
うっとうしい母に変身していた。派手好きで
ヒステリックでいつもざわざわしていた。
心配は私の事では無く、
心配をする健気な母を演じていたのに過ぎない。
母は今は歳をとったが今もこの性格は変わらない。
話を戻そう。
敵前逃走した、乱くい歯、さいずち、
ばか顔とはそれ以来、気まずかったのだろう
廊下であっても目をそらしていた。
そして,何もなかったかの様に,それぞれ小学校を卒業。
私も逃走メンバーも川向こうの、悪名不良中学へ進学していった。
乱くい歯は3年生の時は
「番長」の座をいとめていたがそれは名目で
「裏バン」に頭が上がんなかった。
「裏バン」は川向こうのやくざのせがれだった。
背が高く、顔は日活の某男優によくにていたが、
足はいつも引きずっていた。
小児まひだった。まわりには、
いつも数人手下が金魚のウンコでふっついていた。
乱くい歯は成人したその後、タクシーのうんちゃんをやって
『クスリ』に手をだし臭い飯を食ったと
風の便りに聞いた、、、、、、。
双児のS兄弟は同じ中学だったが、
其の頃のS兄弟には昔の栄光は
無くちじんでいた。
なにしろ悪のレベルが途方なく高くなったのだ。
この中学は地域性の違う小学校から
それぞれ、集まって来てどうしても反目がある。
駅を挟んで西と東で睨み合うのだ。

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青い果実(其の四)
Y市立W中学校は第一京浜道路、
産業道路にはさまれる場所に位置した
川沿いの工場がただ並んでいる,
ホコリにまみれた殺風景な場所にあった。
高度成長の、まっただ中、
近くをダンプがでんと胸をそらし我が物顔でぐあーんと走る。
工場も黄色や赤色のばい煙を吹き出し、
メッキ工場では殺人的な廃液を垂れ流し、
私の愛していた川の息の根を止めようとしていた。
どぶねずみや、いぬ、ねこの死骸にまみれ
死んだ魚が白い腹を出して浮いていた。
大人は毎年上がるサラリーに乱舞し
川が死のうが空が汚れよーがお構い無しの暮らしに
鼻歌まじりの脳天気に明け暮れていた。
東京オリンピックが来年に迫っていた。
三波晴夫のチャンチャカリズムが毎日のように流れていた。
しかし、晴夫の陽気な歌と対照的に
私がこれから通う学校は殺伐としていた。
前からうわさには聞いていたし、在校の中学生Hチャンからも
はんぱじゃないことは聞いていたのだった。
目の前にしたとき、やはり愕然とした。
木造でコノ字が変型した校舎で、まん中に小石のまじる運動場。
校門の入り口にそってバラックの二階建てがあり今にも
今にも崩壊しそうで、あえいでいる。戦争中の亡霊だ。
戦後か戦前にたてられたものだろう。
その建造物は50メートル以上の長さがあり
表の窓のガラスはほとんど割れていた。
まだ何家族がそこで毎日暮らしていた。
夕方歯ぬけのようにぼんやり明かりが灯る。
のちに友人となる、Kが卒業するまでそこで暮らしていた。
「お前は遅刻する事はないな」「歩いて0分」
入学式の前にいろいろ中学の教科書や
上履きやトレパンをそろえるために、
やってきたことがあった。眼前のこの異様さに
わたしは度胆を抜かれ、足がすくんだ。
「毎日こんな場所でお勉強か?」「柄悪そう」
一緒にいった友人も同じ気持ちだったに違いない。
親は、子供に不安を与えたくないのか、
不断と変わらない様子だった。
N小学校はこのバラックのすぐ後ろに位置している。
こんなバラックを毎日のように眺め
N小学校に通う児童はすぐ裏に在るW中学校にやってくる。
隣の家に遊びにくるように。


青い果実(其の五)
水が違うところで、泳いでた魚がそれぞれ、
新しいおおきな川に流れて来たとき
やはり群れは、混乱する。
私達のt小学校と地元のN小学校の魚の群れも同じだ。
互いを意識するのは当たり前だ。6年それぞれちがう
環境で育った者が一緒のクラスで毎日顔をあわせるのだ。
慣れるまでが大変だ。13歳で組織の軋轢を経験するのだ。
大人社会の縮小版だと考えると分かりやすい。
私は男子なので、女の子にはこの辺のニュアンスは伝わりにくいと思う。
違う町の青い果実は互いに見合わせ
それぞれの思いをのせ緊張の日々を過ごすのだ。
クラスの編入が発表され、不安を胸に新しい教室へと向かう。
あたらしい上履きや、皮のカバン
がやけに気恥ずかしかった。
始めて学校へ行く日自分がみんなに注視されているようで、
ほんとうに恥ずかしかった。わざと靴を汚したり、
真新しい帽子を少し汚したりと、ばかな行動をしていた。
大体クラスは私達のt小学校と地元のN小学校の生徒が
半分ずつぐらいで編成された。
互いに気持ちが堅く、打ち解けようとはしない。
私はt小学校の顔見知りを探した。
2、3人ぐらいは話した事が在る者がいた。
乱くい歯、バカがお、の敵前逃走組は違うクラスだった。
s兄弟は一級上だっが、其の存在は大人しく、
小学校の皆を恐怖におとしいれていた、
おもかげはすっかり消えていた。骨を抜かれたのか、
あるいは一戦交えたのか何か逢ったに違いない。
さまがわりが激しすぎるのだ。
一度ばったり廊下で顔をあわせる事が逢ったが
表情は暗かった。教室では
最初に席順を決めクラスの学級委員長男女を選び
いくつかの委員数人ずつ選び私はなぜか放送委員になった。
女の子とはペアーは組めない地味な委員だった。
何をする役なのか忘れた。
入学して季節が5月あたりになれば、おおきな喧嘩も無く
お互いに気持ちもほぐれ、クラスの和が生まれてきた。
クラスには笑いが出て来た。
上級生がやけに大人びて見えた。
とくに女子生徒はグランドのブルマー姿のまぶしさに
変な妄想を頭一杯に膨らましていた。
とにかく「性の季節」だった。身体の変化が
少年期とは違い変声期を経て、
異性を意識していつも身体は、微熱が支配していた。
鼻血を授業中にだす生徒もたまにいて、みんなに笑われていた。
「はなじブー」などとあとでからかうのだ。
上級生に廊下ですれ違うと下級生は
自然にぺこっと挨拶するのが自然だった。
この周辺の生徒は、顔付きも穏やかなやつはいなく、
恐ろしいニキビづらや
悪人顔がおおく、やはり恐かった。
いち早く「あいつがこの学校のバン」だとか
の興味津々『学校ニュース』が耳に入ってくる。
「先週川で、となりのK中学の連中とやった」
とか、だれかが聞いてホイホイみんなに持ってくる。
「へー」「あいつは、いいやつだ下級生は虐めない」
「むこうのやつだろ」「ああ」
「ウラバンはdだ」「えーーっ」
「おれのとなりに住んでるぜ」
「小さい頃はおれとやって負けたぞあいつがかぁー」
私は、この情報には驚いた。
確かにdは急激に身体が大きくなりはしたが、
動物好きの、寂しがり屋だったのだ。
出世街道だねー。私もうなずいた。

青い果実(其の六)
私は団塊の世代。見回せば、
路地裏や空き地に子供があふれていた。
其の人数の大きさは今の
学校の生徒数から想像が付かないと思うが。
なにしろ小学校は3年生まで午前、
午後の二部制で、工場の工員
よろしく交代で、「教室が無いから順番にお勉強しましょうね。」なのだ。
どんなローテーションで行われたか、忘れたが、
とにかく明日は午後からの時は、もう目一杯川辺りで遊んだりして
学校に遊び場から学校におっとり刀よろしく、
釣り竿かついで駆けつける。
自分のクラスの教室によそのクラスの児童がいるのが、嫌な感じがして、
わざとガラスをたたいて邪魔したりの悪戯をした。
先生がドアの引き戸をあけて怒鳴ると、
クモの子散らすように逃げて行った。
「もうすぐ終わるから、おとなしくしていなさい。」
其の巨大な流れの青い果実は大きく弾けながら、
中学へ乱入して来た。地元の公立の学校を敬遠、
無理してよりましな、中学へ編入するものや、
小学校から塾にやり大学までのエスカレートコースの
私立中学へ行く者もいたが
大多数はぞろぞろ地元の中学へ流れてゆくのだった。
ちょっぴり好きだった「恵子ちゃん」は東京の私立へいってしまった。
涼し気な顔だちと聡明さ、
芯の強さにあふれていた彼女は、
児童会の議長で、わたしは副議長だった。
わたしは先生にほだされ、立候補していやいやなったが、
いつのまにか彼女に会える児童会の幹部の集会が、
待ちどうしく思うようになっていた。
独立した部屋が児童会には与えられ、
講堂で開く全体集会の議題や報告をそこでわいわいやった。
みんな飛び抜けた秀才で、私以外皆有名私立へ進学して行った。
バカは私だけで肩身が狭い。ほだした先生を恨んだ。
恵子ちゃんの側にいられるのがすくいだった。
その恵子ちゃんも東京の私立へいってしまった。
さて私の中学生活に戻ろう。今こうして、あの頃を振り返れば、
懐かしい郷愁に沈着してしまうが、甘酸っぱいその思い出の数々は、
53才になっても私を酔わせるのだ。笑われようが、
なんでもこの時代がまさに私の青い果実なのだから。
中学一年生。春の南風は校庭の砂を巻き上げていた。
机はすぐにざらざらになった。授業が終わり、
掃除当番の雑巾は砂っぽくバケツの底に砂がうっすら残っていた。


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by bubupapa | 2011-01-20 23:20 | 散 文