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腰部脊柱管狭窄症/闘病記(1)

プ ロローグ
この散文は2004年発病した、腰部脊柱管狭窄症
手術の覚え書きであります。術後に書きました。
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腰部脊柱管狭窄症。これが私の病名なり。
簡略に申せば、せき髄を通る神経群の通る管の一部に
陥没歪みがありますよ、というものだ。
MRI検査の判定が、以前通院していた病院と異なる判定となる。
患部の特定を明確にする目的で、先日検査入院した。
場所は、ねーサンの紹介で川崎の郊外に在る関東労災病院。
かなり評判が良い病院だそうだ。

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あくまで、評判だが、悪名が高いよりはよいです。
朝早くに家をでる。待ち合いロビーはごった返している。
一泊二日の入院手続きをとる。かなり待たされる。
だんだんと待つのが、慣れてきている。
人の流れや、院内に広げられる、
人間模様の観察も愉しい。検査は午後からに。
中年のおばさん看護婦に連れられ、
6人部屋の病室へ。入院検査のオリエンテーションを受ける。
造影材を背中にいれ、神経をくっきり写るようにする検査だ。
検査後4時間は絶対安静。
2000CCの水分を取り、
すみやかに造影材を体外に、排出するようにと念を入れられる。
ひどい頭痛吐き気があるらしい。
怠ると、一日また、退院できないらしい。
私の「病院へ行こう物語」プロローグ。


ある計画

散歩に出るのがおっくうだ。痛いからである。
しかし、ぶぶのさびそうな顔を見ると重たい腰をあげる。
午前中は蒲田まで額を買いに出かけた。
版画の注文が入ったのだからここは、頑張った。
明日には発送できるでしょう。疲れた。だから散歩が今日はきつい。
明日は、この間検査した画像が上がりそれの説明が在るのだろう。
その先は手術になるのかどうかの、そんな話しもでるのだろう。
浮かないのですねー気分が。話は変わって、
私は、ある計画を立てていた。
散歩コースはバス通りをわたり散歩道に向かうのだが、
手前の信号がちょうど丘陵の頂上で、
昇って来たバスはまた下る坂を走ることとなる。
其の切り開かれた堤に向日葵を一杯咲かせたいと、
ふと思ったのだ。「幸せの黄色いロード」設定は、
私が入院する、長い闘病のあと退院すると季節はもう夏。
いつものバス通りがやけに黄色く光っている。
「あーー向日葵だ!」
「パパの退院に合わせて、わたし蒔いてみたの」
とまーバカバカしいストリーを考えたのです。
気紛れなのだが、わりとおもろい計画なので、
日曜日にママと散歩の時ハムスター、リス用のえさ
「向日葵のタネ』を仕入れておいたのだ。
発芽するのかどうか分からないが、
兎に角蒔こうと今朝、早速、ママが第一弾を決行した。
明日は雨が降りそうなのでちょうどいい。
実行地はお寺さんの広大な私有地でこの頃は、
警備がうるさく、やりにくい。
「兎に角、蒔こう」散歩から帰ったママに
「どうだった、うまくいきましたか?」
「カラスがいるから」「少し掘らないとダメなのかしらね」
「それって不審に思われそうだし、、」
「顔が割れるのはさけたいもんねー」
「にょきにょき生えてきたら皆刈り取ってくれなんて言われるのやだしね、、」
夕方、私の番がきた。ペットボトルに水を入れ、
肩かけプローチにわしずかみした種をしのばす。

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その後、うまい具合に向日葵のタネはちらちらと発芽した!


この時間犬の散歩の連中のラッシュなのだ。
様子をうかがい人気が無いのを見はからい、
おもむろに用意した小さい掻き棒で土を掘る。
手際よく種を落とし、土を被せた。土を掘ったのは2ケ所。
後は、ぶぶと歩きながら、下をバスが走る堤にぱらぱら、
なにげなくばらまいた。名前の知らない、
紫の小さな花が群生している。なんだか緊張している。
うまく発芽すれば、いいが、かなり確率は低いのだろう。
明日雨に成り旨く土と馴染み、私たちの思いが通じれば良いのだが。




右足

さっきグアム島より撮影から帰った息子から電話があった。
私の連休後入院の決定を報告した。一応。
でいろいろ話すうち彼も撮影中右足を怪我をしたそうだ。
私も右足の激痛。でそう言えば、息子の愛犬「ふじこ」も
このあいだ多摩川の河原で釣り針が足の筋肉に食い込み、
切開手術をした。どちらの足なのか分からぬが、これは何かの因縁か!
♪ジャーン。お寺さんの私の掛かり付けの地蔵様(笑)に厄払いをお願いしよう。
手術もあることだし。息子とは彼が小学生の時二人で心霊的な現象を体験したので、
彼の分もお願いしよう。なにやら、さきほどから、ごろごろ雷が鳴りだした。
せっかく朝方蒲団を干したのだが、あわててさっきとりこんだ。
一雨きそうだ、、、。
さて今日はいろいろ入院の準備品を買い出しに行きたいのだが
この間メガネを二つ作った。老眼のほうが上がって来ている。
近視のほうはすぐあがったが、老眼はパソ用に
これは手許も画面の方も焦点ばっちりというスグレもの
便利そう。


若葉の季節

五月が始まった。入院を一週間後に控え何かと気ぜわしい。
入院の手続き書類では、入院期間1ヵ月と書かれていたが、
これはかなり入院期間が長い。二週間ぐらいが普通だろう。
ネットで情報は集められるのだから、、。
旅行では10日以上の外泊はあるが、やはり長い、気が重い。
ベットでのしょン便や、うんこは、考えるだけでも死にたくなる。
避けては通れないのはわかるが。
このところ入院にあわせるように、よくしたもので痛みが増してきている。
あせるなっつーの!私は、4歳の頃永い入院をした事が在るがそれ以来になる。
あの頃の記憶はとうに失せているのだけど、
麻酔が利きはじめた瞬間の、霧の中に包まれてゆく感覚は
今でもぼんやりとした記憶は残っている。
今度はリアルタイムで経験ができるなどと、
馬鹿言ってると、心配をかけている母や妻や子供達に怒られそう。
手術は外科手術で、塞がった脊柱管を二ケ所広げる。
細かい細工はわからないが、なんせ、
大事な神様からいただいた神経がたくさん通る管だ、
あっ!まちがえちった!なーーんていうのはなしだよん!
やれやれ。考えただけでもちびりそう。


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「ある計画」その後

金曜が入院日、
カウントダウンに入りママがイロイロ入院グッズを仕入れて来てくれた。
ママ、ぶぶ、わたしの揃っての散歩が今日でしばらく終わり。
夕方足を引きずり、「ある計画」進行状態を確かめにいった。
埋め込んだところは。土が乾き種は芽吹いていなかった。うーーん。
ペットボトルの水を与える。新たに、溝作り種を蒔く。
数カ所同じく種を蒔く。ばらまきのオプションは何度か繰り替えした。
うめ込みの方法が一番ベストなんだけど、水やりの手間がありむずかしい。
試験的にベランダに蒔いたのは
もう綺麗に二葉がでている。なんとか明日あさって、
雨が降りだせば、可能性がでてくるのだが。
もうこれは運を天にまかそう。
ところで、我が、ベイスターズこのところ、
連勝を続けて、金満球団を下目に快進撃!
何年間低迷でファンもこの春の珍事に大いに気をはいている。
リリーフ陣の踏ん張り、大魔人復活!頑張れ!ベイスターズ。


入院

いよいよ入院が明日となった。
先日未だ芽吹いていなかった向日葵が、感動的に二つばかり、
土の中から顔をのぞかけていた。やはり、土の衣の中で成長していた。
ぱらぱら蒔いた、モノでも、落ち葉の下に潜り込んでくれれば、
期待できるのかなー。
洒落で思い付いたいたずらであったが、芽が出たとなると、
一本でも多く黄色い花を咲かせて欲しい。
たかが向日葵の種にこれだけ思いを託すのも、
己の心、気弱になっているのか、、、。
入院グッズを求めに昨日隣の街へ出かける。
歩く早さが普通の人の半分しか出ない。
情けない。やはり歩けるということは素晴しいんだ。
買ったもの/曲がるストロー/爪が飛ばない爪きり/
小型ラジオ(カセットテープもきける)
これで懐かしの青春ポップ歌謡がきける(笑)
安い3200円/耳掛けのヘッドホーンつい新しいので買ってしもうた。
/宮部みゆき著「ブレイブストーリー」1800ページの大長編/
勇気と感動と涙をいただけるそうだ/
キャリングケースこれはやすい3800円中国製作りも
しっかりして昔の中国製のイメージはどこにもない/単三電池/等
ケースに詰め込むとまるで明日からやや長旅の出発気分。
ウィンドウズノートパソをもっていこうか今も迷う。
ネットは出来ないが、いろいろゲームができる。
まーこれはすこし重たいし後日でいいだろう。
というわけで、しばしこちらも、おやすみとなる。
期間中はしっかりメモを取り入院生活の様子等
レポートにまとめたいと思っている。あくまで予定だが、、。



私の「病院へ行こう!」



2004年5月7日(金)「腰部脊柱管狭窄症」手術のため関東労災病院



15病煉1500号室に入院。天気晴れ。気温高め。
入院グッズを詰め込んだキャリングケースを引き
八時過ぎにかみさんと自宅を出る。
ブブと涙の別れ。老婆には「いってきます」仏壇に線香。
「御先祖様いってまいります」
老婆に「留守中は不用心になるから、用事は夕方前にすます事と」
ややきびしい表情で言う。
先月は斜前の家に強盗が入った事が在るのだ。
ちょうど、家の前にタクシーが通りかかり直接病院玄関前まで乗り付ける。
三十分あまりで到着。ロビーの窓口に用意した書類を用意し9時に入院手続き。
この日の私のいでたちアイボリーの綿パンに西友の無印商品で買った、
ホワイトシャツにライトグレイのカーディガン、
靴はデーィープグリーンのスニーカー。主役としては、まーまーかな。
気分はやや上ッすべりで、トラベル気分だ。もう何度もこの場所に来ているので、
緊張感は皆無。先々週は一日検査入院しているからなおさらだ。
むしろ検査入院の時のほうが緊張していた。
迎えの看護師がきて整形外科15ー1病煉のこれから入院する部屋まで案内される。
部屋番号1500。4人部屋。私の真新しいネーム札が差し込まれている。
先客は、18歳のL君入院4ヵ月目。右足複雑骨折。
36歳S青年入院二週間目病名椎間板ヘルニア。
廊下側のベッドにシワのないシーツ.側に小さいキャビン、
其の上に有料テレビ。目隠しのカーテンは大きく開けられている。
部屋はうすぐらい。部屋の住人にまずは新入りの御挨拶。
にこやかにやや声がでかくなり、いきなりごあいさつ。
「Tと申します、今日からこの部屋で皆様と御一緒することとなりました。
いろいろ御迷惑をおかけする事が在りますが、どうぞよろしくお願い致します。」
担当のk看護師さんからこの病練の施設の説明や洗面所、
トイレの場所、それから入院生活での心がけ等のガイダンスを受ける。
部屋に戻り荷物の整理をする。テレビのカードを買い、
冷蔵庫のレンタル手続き等を済ます。
時折病練の患者さん達が歩行器ですれちがう。
患者さんの年齢は様々。若い中学生の男の子がエレベーターをまっている。
中年のおばさんが車椅子に乗って電話している。
時折ナースの笑い声が聞こえたり、思ったほど暗い印象は無い。
窓越しに北から南に走る東急の電車のおとがカタコト聞こえる。
青空にポッカリ雲が浮かんでいた。荷物を整理終えた頃、
私の担当のT先生があらわれる。「ども、いよいよですね」。
爽やかに、笑っている。つられて、私もニヤニヤする。先生は若い。
三十代前半と見る。爽やかな印象は最初対面の時感じたが、
改めて「若けなー、、、」多少の不安はあったが、
歳を喰っているよりいいだろう。ここの先生はみな若く、
入院期間中50代のドクターはいなかった。
病煉の部長だけおやじだったかなー。
タクシーの運ちゃんが「ここは、東大系の先生が多いんだよ。」
いっていたが、本当かどうか確かめようが無く、
わけもわからず「ジャー安心だ。」と勝手に思う。
「月曜日が手術ですね。「血液検査、心電図、もう終わってるのですねー」
「それじゃー今日、明日と何もする事がないですから、外泊でもかまいませんが、どうします。」
「一瞬言葉につまったが、反射的に帰ります。」
と言っていた。かみさんがいたら、ひきとめられていただろう。
すでに部屋を確認して、仕事場に向かっていたのだ。
「それじゃー外泊の用紙をあとで看護師にもらってください」。
かくっと拍子ぬけでしばらく、ぽかんとしていた。手術日を探している時に、
月曜が麻酔医の手配の都合上、いきなり入院即手術だと慌ただしいので、
前の週の金曜日入院、翌週月曜日に手術の、スケジュールを組んだのだったが、
思えば、入院を決めた日に先生の指示で、検査をすませてあったのだった。
私としては、もう少しおおづめでこの、土日で最終的な検査が在ると思っていたのだが。
そうなれば週末は家で飯を食べられるし、
ブブをつれて最後の散歩ができる。軽装に着替え帰り支度をする。
ナースステーションに届けの用紙を出し、エレベーターに向かう。
すれ違い様、ストレッチャーにのせられて患者さんが奥の病室に運ばれていった。
月曜日には私もあれに乗せられ、オペを受けるんだなー。やれやれ。帰りのバスでは、
早朝の疲れがでたのか、ずっと居眠りをした。


私 の「病院へ行こう」第2回


朝何気なく起きて歯を磨き、食事をし、仕事をかたずけ、
夕方、あっという間に時間が過ぎて、帰り支度。帰えりに軽く、
引っ掛け、ほろ酔い気分で帰宅。風呂に入り、
テレビの前でニュースを見て、寝酒等をし、小便をして、寝床に潜り込む。
何でも無い普通の人の普通の生活。
主婦はいろいろ細かな子供の面倒とか買い物とか、
食事の準備とか男とはちがうが。
我ら中年の既婚のおやじの普通の生活はこんなところだう。
普通が普通でなくなる時が在る。普通の親父が「病気」になる。
見事にリズムは狂い、
そのまわりの家族も引きずり込まれるように普通がこわれてゆく。
私もまさに、普通の親父であったのだ。
それが右足の変調がおき歩くのもまま馴れないはめに成ると、
普通がこわれてゆく。去年の12月始め変調が始まった。
口を開けば「いてーいてー!」と馬鹿の一つ覚えを繰り返す。
近所の病院へ駆け込む。隣街の病院へ駆け込む。ブロック注射を受け、
経験のないおかしな検査を何度もうけ、効かない薬をだらだら飲み、
ネットで自分の症状を見つけその病の情報やらに浸り、
同じ病の患者の体験手記を読んで、思わず、「そうなんだよー」と膝を叩く。
其の手術のあらましを知れば、シリ込みし、どばっと疲れ、へたりこむ。
普通でなくなった日々をなんとか打開したいと思っていた。
暮れからずっと気分が晴れぬまま、一向に回復の兆しは見えず悶々としていた。
そんな時、ふと昔、姉さんが一度交通事故で大腿部を
複雑骨折で入院していた病院のことを思いだした。
長い入院やらその後のリハビリの生活が続いていた事があったのだ。
電話で名前と住所を聞いた。
ネットでその病院を調べると、有名な整形外科の医療スタッフが揃っている有数な
総合病院で在る事が分かった。「あそこは腰痛等の、整形外科では有名な病院なのよ」。
飛行機や、新幹線で噂を聞きやってくる人も入るという。
そうなれば、迷いも無く、たずねた。
「なんかよさそう!」わずかな光がすっと目の前の射して来た。
3月もおわりに近付きの桜が、ちらちら咲き始めていた。
やけに季節が先攻するのがここ数年の特徴だ。
やはり地球環境まで今までの普通と違って来ている。

前回の話の中で手術前の外泊許可は私の記憶違いで、
日記を読んでいたら、すこし違っていた。
5月7日(金)入院。手続きを済ませ、部屋に入り、
食事を済ませその後、麻酔科にいき手術での全身麻酔のあらまし等の
ガイダンスを受ける。そのとき小僧は
「戻っていて良いよ」とママにいったのが、
「仕事先にかえっていいよ」に取られ、
ママはその足で仕事場にもどっていたのだった。
(うちはふたりともおとぼけをよくやる!笑い)
麻酔科の後に担当医から手術のインホームドコンセント(informed consent)
を受ける。いわゆる手術のあらまし、
手術における危険性、おるかもしれない、
術後の感染症等の説明を受け同意書にサインする儀式が予定されていたのだ。
この同意書は、かなり恐い事が書いてある。例えば、項目6、
手術自体の危険性及び考えられる合併症/には感染、出血、神経損傷。項目7/
予後(経過予想)及び考えられる後遺症/翌々日より歩行、
三ヵ月間コルセット、症状が取りきれない事も/項目8(これはかなり恐い!)
/通常は発生しないが起こり得る重大な危険性(でしょ!)/閉塞(脳、心、肺)、
再発の危険性/その後で、医師の説明に対し十分理解いただいたなら、
以下の同意書に署名、なつ印願います。の文面が続き1上記説明を受けました。
そして、その内容について◇チェック欄が在り私はそこにチェックをいれた。
分かりました。その上で納得して手術に同意します。
患者氏名/T.T/同席者/ママ/続柄/妻
5月8日(土)午前11時あらためて、担当医、私、MRI、
造影材撮影の資料を提示しながら、先生の説明を受ける。ママ同意書を提出。
そのあと病院前のおおきな公園でやっている園芸市を二人で見る。
私は暫くすると、足が痛く腰掛けて、ママの買い物を待つ。
ときおりここの住人の路上生活レゲーおやじがヌーッと目の前を通りすぎる。
バスで駅ビルに、そのあとバーさんに「母の日の贈り物」ヲ選び。
帰宅。テレビ「ベートーベン2」をみながら炬燵で寝てしまった。
2時になっていた。4時まで寝られず。7時に起き10時に病院へ。
5月9日(日)
いよいよ手術準備のスケジュールがはじまる。



私の「病院へ行こう」第三回




5月9日(日)手術前日から手術当日へ
担当ナースより手術スケジュール説明を受ける。
ざっとこんな感じ。/5月10日(月)九時頃手術予定。
当日禁飲食。タバコも控える。水分12時まではよい。6時浣腸をします。
排便の有無を知らせる事。8時20分に排尿を済ませ、手術着に着替えること。
8時30分麻酔の効果を高める注射。9時手術室へ。/
そうそう、私のヒゲをそるかそらないかの笑える問題があった。
麻酔時に気管の管をとめる時、ヒゲは邪魔になるからといわれていてのだが、
それは、当日麻酔医に聞いてみることとなった。
「やはり剃って下さい、細菌も入りやすいし」
「、、、、、、」でまあ私の面は、のっぺらになったわけ。
夕方食事のあと誘眠剤と下剤がでる。わりとすっと寝れたと記憶している。
6時前に目が醒め。手術当日になった。T字帯をつける。つけるでいいんだよね。
なんだか垂れる感じなんだけど。この格好はかなり、ひじょうに情けない、
いわゆるフンドシ。おちんちんがすうすうする。風邪は引かないだろうけど。
早朝、静かな病室に抑揚のない声で「浣腸します」と、若いナースがやってくる。
トイレで便座に手をつき後ろ向きになったとたん、
ズブ!「いて!」ややはずれる!グビーッと液が入る。
「できるだけがまんしてください。」5分も持たなかった、ギブアップ!
「ところでT字帯の締めかたってこれでいいの?」
「反対ですねー」「、、、、、さかさ?」軽く笑われる。
その後ベッドで寝巻きを逆にした、素っ裸にちかいかたちで術着に着替える。
ドンドン剥ぎ取られてゆく感じ。「腹を括ろう」手術まで2時間近く在る。




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ママ8時30分に到着。9時いよいよ手術室へ。エレベータで下の4階に降りる。
手術室のドアーの前で少し待たされる。
気が付けば左の脇に女性が目をつぶっている。
手術後なのかこれからなのかわからない。
「なんだか、無気味な顔だなー」室の中が妙にざわついている。
いきなりばたんと大きな音がしてドアーがパーッと開かれる。
いよいよだ!ママが「頑張ってね」「うんじゃーね!」
こんな会話があったのかどうか、記憶が無い。
目の上のドラマでお馴染み手術用のライトを見ると「さーどうにでもしろ!」と、
まな板の鯉状態。もう後戻りは出来ない!しかし、私はわりと平静だった。
私の脇に数人のナースが付いてた。
それぞれやくわりぶんたんがあるのだろう。
麻酔が効いて来て、おちんちんに、管を入れる人とか、
いろいろと。細面のナースの顔を今も何となく覚えている。
たしか、余裕を見せたがり軽口をたたいたいような、、。
一様にみな若く、綺麗に見えた。視線のやや下方に、
担当医のT先生が写真をぺたぺた壁に並べていた。
よくやるよね、ばしゃーって、画像を透過するやつ。
皆、やや緊張の面持ちだ。昨日説明を受けた、
麻酔医がスーッと視界に入りいよいよ手術が始まった。
「ガスをいれます!」私は意識がなくなる)
ドラマだったら効果音がかぶさり「メス!」で始まりそうな、、、、、、。

闘病記(2)へ続く

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by bubupapa | 2011-01-22 00:52 | 散 文