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腰部脊柱管狭窄症/闘病記(2)

ここからは、ママがつけた当日の日記。
9時手術室へ/10時お姉さんが来てくださる。
/13時30分手術終了/元気、よく喋る。水を飲みたがる、氷り2、3粒。
/15時体位変える/17時 熱37度3分/点滴で痛み止め/
17時30分よく寝ている/18時30分点滴2つ目/
19時30分水枕あてる/20時長男来る
/20時30分帰宅/
この間の記憶があんまりないのだが、
術後の痛みと同じ姿勢の苦しさやら、
おちんちんにいれられた管の不快な感覚が、一番辛かった。
頭はぼんやりだが、傷の痛さやら、
この妙な感覚が体に巻き付いた感じがたまらなく、いやだった。
次の日管を抜いてもらえるまでの時間までの時間の長いこと。
一度意識が戻って来て、寝が入りを打ちたくなって少し動いたが、
その激痛には参った。腰には汚れた血を抜く管が出ている。
その辺がとくに痛い。だがなんとか座薬も使わないで、我慢した。
「あんまり我慢しないでねと」ナースに言われたが、浣腸のナースでは無く、
おばちゃんナースだったので、我慢する。これは冗談。
書きながら、またあの激痛の感覚が蘇る。
とにかく、おちんちんの管を早く何とかして欲しい!
お願い!抜いて!ネットの闘病手記でこの辺の事は知っていたのだけれど、
いざ経験するとさすがにリアルに痛い、ってゆうかイヤーな不快感なのだ!
出したいのだが、出している感覚が無い。私は何度も聞いている。
「出ているの?おしっこは」「出てる出てる」「ほんまかいな!」
「出ています」「ちゃんと下の袋に落ちてます」「ほんまかいな!」
「ちゃんと下の袋に落ちてます」「ほんまかいな!」
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私の「病院へ行こう」第4回


ママ11時に来る。体はやや微熱あり。
同じ姿勢でひどく腰の当たりに疼痛。頻繁に体温、
血圧を測りにナースがやって来る。同室の仲間と会話する気力まだなし。
心配してくれる気配がひしひしと伝わってくる。暫くして、
御ちんちんの管を抜きますかと?尋ねられ、「もう是非!おねがいします!」
抜く時少し痛みが走り、その後やっと通常な感覚が戻る。
「あー解放された!」 とにかく、いやだったのだ。
体をナースが暖かいタオルで拭いてくれる。
なんだか一息つく。気分が良い。ガスがよく出るようになった。
平気でププーやる。この部屋では、おならはなにげない日常音になっていて、
部屋には絶えず、プープー鳴り響く。青年、19歳の青年は比較的少なく
私と63歳のsさんはかなり頻繁にプープーやる。
ママがはちみつ入りのお茶を飲ませてくれた。
お昼は箸をつけなかった。食欲が無い。薬を飲む。
午後2時寸法取りしておいたコルセットを持って、
業者のおばさんがやってくる。「おつかれさま」と声を掛けてくれる。
装着の説明、保険で7割がバックすることも教えてくれる。
点滴はつづく。小水をベッドでする。管を抜いた後の小水はやや緊張。
グビッグビッと空気みたいなのが流れたような気がする。通りがよくなり、
夕食まで3回する。溲瓶にはナースが手作りのブルーのハンカチが目隠しとして、
リボン状に溲瓶のさきっぽの首にかけられている。
患者の羞恥心を少しでも解いてやろうとする、
ナース達の優しさに心遣いにホロリ。夕食。
おいなりさんを半分だけいただく。旨い。6時半ママは帰っていった。
T字帯がとれたぶん、パンツをはけたのがこの日からだと思うが、、、。
もくもく気力が回復してくる。カセットテープで入れておいた、
都はるみ「大坂しぐれ」にほろりとする。凄い選曲。馬鹿だェー。
ストーンズは効く気になれなかった。病床で効くのはやっぱし演歌でしょう!
♪ひとりで生きてくなんてーできないとーー。
はるみちゃんに合わせて、唄う。声は出さないが、唄ったのだよ。
♪ひとつやふたつじゃないのー古傷はーー。
なんだか痛みを忘れたような、、、。九時消灯。



一寸寄り道「麻酔は恐いか!」
私の術後経過はだいぶ落ちつきを取り戻した。合掌。
でまーみなさまに少し麻酔談義等を提供したい。
もちろん私は「麻酔」などについての素人であるが、
今回経験した全身麻酔というものについて、
先日ネットを利用して、復習してみた。
世の中にはまだまだ、「麻酔に対する恐怖感」は根強く、
手術は恐く無いが麻酔は恐いという人は、
少なく無い。リスクが大きい医療行為であることは事実だからだ。
日本の麻酔は華岡清洲によってその歴史は開かれた。
1804年十月十三日世界で始めて全身麻酔下でその手術は行われ、
見事に成功した。モートンのエーテルによる全身麻酔公開実験の約40年前に彼は、
成し遂げている。ちなみに十月十三日は「麻酔の日」。
麻酔には小僧のおこなった麻酔薬を
「吸入麻酔」という酸素にまぜて薬をマスクから吸収する方法と点滴で
「静脈麻酔薬」を投与する方法がある。
吸入された麻酔は肺から血液内に吸収され全身に広がる。
意識が急速になくなり、深い眠りにおちる。手術部位はもちろん、
心肺機能、も弛緩する。筋肉の緊張を弛緩させるのだから動かないのだ。
お腹の手術で弛緩させなければ、腸が飛び出てしまうそうだ。
呼吸(心臓、肺)の筋肉も弛緩するため「深い眠り」
を維持するために肺の入り口へ酸素を送る管を入れ
人工呼吸器で呼吸を助けるわけだ。一歩間違えれば、、、、。ということだ。
しかし術中の環視モニターの飛躍的な整備で、患者の呼吸、血圧、水分補給、
尿の出方等、正確な環視状況下で精密に患者は守られつづけられている。



歩行器
ねーさんが飲み物を差し入れしてくれる。ちょうど、
背中の管がはずされ歩行器で歩き出していた時だ。ねーさんびっくり!
「あんた、だいじょうぶなの!?」「先生は大丈夫だといっていた。」
面会のホールでしばし雑談。
横須賀の蒼い目の兵隊さんと長女がもうハウスで暮らしはじめている話題やら、
おふくろの話とかもろもろ話す。ねーさんはこの病院で1年リハビリしていたのだ。
検温/微熱37度5分
午後の検温でも微熱はさがらない。しかし夕方になると、
平熱にもどっていた。向いのsさんの手術が金曜日に決まり、
術後のベッド内の腰の動かし方などを練習している。小水3回。便はなし。
コルセットがきつい。誰かに腰を押さえられているみたい。
痛みはうすらいでいるようだ。夕食をもりもり食べ出した。
もう歩行器で、トイレまでいけるという安心なのか、
ぺろりとたいらげる。メニューは忘れた。味がぼんやりして、
甘いわけがない。多少親指付近にしびれあり。ナースは回診の時必ず聞く
「どうですか?」「多少しびれが、このへんに」
「べんは?」ナースは3交代でローテーションを組んでいるみたいだ。
割と好みの若いのが来ると、うれしい。すけべなおじさんに戻っていた。


私の「病院へ行こう」第5回


術後3日目になった。歩行は順調。朝4時頃から目が醒めてウロウロ。
院内はまだ深い眠りの中だ。そっと音を立てないように起き出す。
歩行器を使ってぬけだす。歩行器の形状は,赤ちゃんの
ハイハイ歩きのでかいやつだと想像して下さい。
Uの字のアームに4本足が伸びて滑車が付いている。
ブレーキの付いたハイグレードなものもあったな。
私にあてられたものはオプションなしだった。
歩行器は背筋を伸ばし、両肘で支え、ソロリソロリ歩きます。
一階の売店までエレベーターで降りる。ホントはまだ降りてはいけないのだけどね。
夜勤のナースに見つからないように、そっと当たりを伺う。
「しめしめ」ここでひっくり返って、傷がパカッと開いちゃったら、
振り出しだからね。気を付ながら。
売店脇の100円の紙コップのコーヒーが旨いのだ。
私はキリマンジャロをいただく。
誰も人はいない。入り口の警備室には人の気配がするが。
自販機でお茶のボトルと缶コーヒーを仕入れる。
部屋に戻るとまだ誰も起きて無い。
ぽつんとひとりなにすることはなく暗い部屋の中で息をひそめる。
軽いイビキが聞こる。大きな台車のやや派手な音が八時朝食の合図。
入院生活で唯一楽しい時間だ。ここまで、時間の経過が長い事。
起きてから4時間も経過している。
さすがに7時のニュースを見た後は眠くなり横になっていた。
朝はパン食だったが、パンの変わりに粥を選べる事を知り、
変えてもらうことにした。パン二きれ、ジャム付き、
サラダ、牛乳パック、フルーツだったかな。
昼食、夕食と食事のメニューを書きたいところだったが、
メモ等も取らなかったのでほとんど忘れた。
いろいろ栄養士さんが考えて、バラエティーには飛んでいたが、
如何せん味がぼんやりで、ものたりない。
午後/処置室にて若い美形のナースが傷の消毒してくれる。
「Tさんは10日手術ですよねー」「はい」「順調ですねー、
よく歩いているの知ってますよ」「そっすねー」私はだらしない顔になる。
「でも、気おつけてくださいねー」なんだかいい時間だ。
お茶して優雅に「すてきなお仕事ですねー、、、」などとずっと喋りたかったが、
「はーーーいおわり」と軽く追い出された。
ママがやって来て、下着とタオル、リンス入りのシャンプー持って来てくれた。
タイミングよくママが仕事場に戻ったあと、ナースがやってきて 
「Tさん洗髪しましょう」「えっ!あれま!」
美容院みたいな洗髪台の前に案内される。「気持ちが良いなー」
「かゆいところはないですかー」「ええ大丈夫です」
4日ぶりだなー。なんだか、頭の皮が一枚剥けたたようで、
すっきり、さわやか!自分で濡れた髪をタオルで拭かせてもらう。
この日は洗面所で自分で体をコルセットをはずし、石鹸つけて洗う。
もうめちゃ気持ちがいい!鼻歌まじりで、熱いお湯で、ゆっくり洗う。
「Tさん!」通りかかったナースに見つかってしまう。
「ダメですよ、まだコルセットをはずしては!」
「、、、、あっはい!すみません」
「体を拭きたい時はいってください」
「はーい」すごすご部屋に戻り反省。
ママに持って来てもらった、Tシャツ、短パンに着替える。
レンタル病衣を脱ぐともうすっかり、
「しゃばの人」となる。


私の「病院へ行こう」第6回

病院を抜けだし、T街道を渡り病院前の、
平和公園までとぼとぼ足をのばした。院内はもちろん禁煙。
敷地内でも禁止だが、ロビー近くのタクシー乗り場当たりから、
道路に出る前ベンチには、ニコ中の患者がプカプカやっている。
皆旨そうにすっているが、どう見ても、プカプカ連中の様は品が無い。
もちろん私もその先頭集団なのだが。数分で公園に付き、
コーラを買いベンチに座る。おもむろに、タバコを取り出し、
一服!一瞬めまいがあったが、旨かった!あー旨い!公園で遊ぶ、
母子をながめながら、しばし今日までの出来事に、思いめぐらしていた。
この公園は大きくていろんな施設が点在している。
散歩道には、様々な彫刻が点在し目を楽しませてくれる。
サッカーの試合をグランドでやっていたので、その試合を覗きに、
歩きだす。コルセットは下着の上で
その上にデカい赤い Tシャツを来てい見えないが、
やたら姿勢のいいおじさんに見え、その歩きがぎこちない。
心地よい若い歓声がグランドに響く。
ボールが飛んでくる。追い掛けて来た、
顔を真っ赤に染めた汗にまみれた、飛び込んでくる。高校生だ。
あー私も早く走りたいなー。
しばらく、腰をおろしボールの行方を眺めていた。
帰りにちゅうぶりの小石を土産に持ち帰る。
軽石がわりに足を擦るためだ。院内に戻ると、
歩きすぎたのか、右足の先がしびれが強くなっていた。
ふくらはぎも、筋肉痛みたいに張りが出てきた。「
はしゃぎすぎだなー、、、。」
術後の後遺症として足先などのしびれがとれない事も在るとは、
先生も言っていた。夜から雨になる。南の風だ。
夜中に小水をしに廊下に出ると顔なじみのナースが会釈する、
「夜勤ですか」「ええ」深夜なのでこれ以上は遠慮する。
トイレはドアーでは無くカーテンだ。中の大きなほうのドアーもカーテン。
車椅子でここに入る人もいるからね。
便座のわきにはナースコールのボタンがぶらさがっている。
「sさんは明日手術だなー」夜が明け九時にオペだ。
私よりは大変な手術だときている。
頑張って欲しい。sさんとは通院している時
待ち時間で御見かけした事があった。
いろいろ転々と病院巡りをかさねたジプシー患者さんだ。
建築会社の現場のトップで、外国や、
日本各地の建設現場で汗を流したそうだ。
足のしびれの治療中、電気治療を受けた時こちらの、
私のオペを手掛けたT先生を紹介されたそうなのだ。
この病室の一番若い1君は交通事故で
膝下から骨が飛び出すほどの重症で、
もう4ヵ月入院している。傷跡がナマナマしい。
かなりのふとっちょで90キロぐらいはあるかなー。
すばやく車椅子を乗りこなす、昼間はすぐ何処かに行方不明となる。
院内のフレンドも多く年が離れたおやじなんかも、ときおり彼を訪ねてくる。
いちばん仲良しは、中学生のk君。
彼も骨折組だ。二人でよくゲームに興じていた。
36歳青年s君は技術屋さんで連休に
入っていきなり運び込まれて来た人。
彼は手術をしないで保存療法で入院中。
ちかじか背中にブロック注射の治療を受ける。
日がな一日パソに向かい会社のデーターづくりに追われている。
北海道生まれの青年だ。背が高くヒゲが濃く優しいクマさんタイプだ。
声が良い声してる。



私の「病院へ行こう」第7回


私は鳥になったのか、朝5時起きが日常化して、
すっかり早起き鳥になっている。こんな早朝生活は、
子供の頃の夏休み以来だ。あのサマータイムのラジオ体操、
カードにスタンプが埋まっていくのが、なぜか嬉しかった。
♪明るい朝が来る、希望の朝だッヶ?
紙コップコーヒー「ブルーマウンテン」を下で飲み、
公園まで散歩。少し歩き回り、おもいきり朝の空気を胸に入れる。
とまーいま思い出しながらこれを書いているのだが、
今日5月28日、27日やけに足がむくみはじめた。しびれの取れた、右足では無く、
左足が、膝から下にかけ、パンパンになっている。
一晩明けたいまでもまだはれが引いていない。術後どうしても、
神経がナイーブになっていて、いろいろ気が回ってしまう。あらあら、脱線。
5月14日(金)に戻ろう。この「私の病院へ行こう」も後数回で終わる事にする。
入院期間中日記をこまめに書いたのはこの辺当たりまでで、
劇的なエピソードもこのあとは無かったし、なにより術後の回復が、




思った以上順調で、もう退院の日がいつに成るかが、
私の最大関心事になっていて、センチな入院生活も飽きが来ていたのだ。
これが、全然見通しがなく何ヵ月も状態がつづくならこまめに、日記をつけたり、
思いを深めたりと、思索の時間を過ごしていたならば、
私はなんだか、人格的にも、様変わりを、果たしていたのかもしれないが、
私は深く静かな思索のないままおわろうとしていた。残念。
思索の人にはあこがれるけど。そうそう、今日は同室のsさんの手術の日だ。


散歩から戻ると、sさんは起きていて、落ちついた御様子。
「いよいよですね」声をかけると、
「そうですねー」建築現場で鍛えた、張りの在る大きな声が帰ってくる。
「そうかー御飯はぬきなんだ」「はい」「がんばってくださいねー」
八時朝食。s さんストレッチャーに乗せられ、手術部屋のある下の4階へ。
割とクールな奥さんも後につづく。
からになった昨日まで私が使っていたベッドが広く感じる。
昨日私とsさんのベッド交換があったのだ。酸素のノズルが必要なためだ。
結局sさんの手術は大手術になりなんと12時間のあいだsさんは頑張ったのだ。
なぜか、戦友のような気持ちになる。やはり病は闘いなのだ。オー!!
深夜までsさんは苦しそうだった。こまめにナースが世話をやく。
「sさん頑張って下さいよ」4人部屋はやはり緊張している。

ところで、私の手術をうけた脊柱管狭窄症について関東労災病院
 整形外科部長 夏山元伸氏のお書きになられたファイルを引用させていただく。
脊柱管狭窄症の内視鏡手術と在るが私の場合範囲が
広かったのでもう少し規模が大きかった模様。

脊柱管狭窄症の内視鏡手術 整形外科部長 夏山元伸
  以下の文章は、週刊朝日2002.10.11号に掲載された
(名医のベスト・セラピーNo.38,脊柱管狭窄症と椎間板ヘルニア)
を当院ホームページ用に一部改編したものです。

(2003.11改訂)

脊柱管狭窄症は、脊髄をおさめている背骨(脊椎)の空洞(脊柱管)が
加齢によって狭くなり、神経が圧迫されて腰痛を始め脚の痛みやしびれが起こる病気です。
腰から足にかけて電気が走るように痛む放散痛と、数分歩くと進めなくなり、
休むとまた歩けるようになる間欠性跛行が特徴です。
症状が軽い場合は正しい立ち方、座り方、
普段の姿勢など日常生活の指導をさせて頂きます。立ったときはあごを引き、
腹筋を緊張させ、骨盤があまり前のほうに傾かないのがよい姿勢です。座るときは、
股関節と膝関節をそれぞれ九十度曲げて足の裏がぴったり床に着く高さの椅子を選び、
深く腰かけることです。ときどき足を組むのも腰にはよい影響を与えます。
疲れにくい腰にするためには筋力アップも必要ですから、
前後屈運動や回旋運動を組み込んだ腰痛体操を習慣にしてもらいます。
それで不十分なかたには外来で消炎鎮痛薬や血流改善薬などを投与し、
必要ならコルセットを付けていただき、
温熱療法や牽引療法などのリハビリテーションを受けていただきますが、
効果が薄いようなら、入院してもらって持続牽引や薬物療法、
麻酔薬を使って痛みをとる硬膜外ブロック、リハビリなどの保存的治療を行います。
手術を行うのは、それでも症状が改善しない場合です。
手術法は、神経を圧迫している余分な骨や靭帯などを削って脊柱管を本来の太さに戻します。
皮膚を大きく切る従来の方法、顕微鏡下手術、内視鏡手術の3種類があります。
内視鏡手術は傷が最も小さく、入院も1~2週間ですみます。家事などは退院した日からでき、
事務系の仕事なら術後3週間ほどで可能です。内視鏡手術は全身麻酔で行います。
レントゲン透視で確認した手術箇所の上の骨を、筋肉を分けるように16ミリ切開して、
そこに直径4.5ミリの金属棒を挿入します。次に、
棒の外側にひと回り径の大きい金属管を入れるなどして広げていき、
最終的に直径16ミリの穴にしていきます。そこからカメラのついたスコープと、
5ミリ幅のノミなどの器具を入れます。医師はモニターの映像を見ながら、
椎骨や靭帯の脊柱管を狭めている部分を削ります。椎間板が出っ張っている場合はそれも切除します。
手術の傷は1ヶ所だけで、所要時間は1~2時間です。
下の写真左は、64歳男性、脊柱管狭窄症の患者さんの腰椎のCT画像です。
真ん中の上下に押しつぶされているのが神経の通り道です。右は手術後のCT画像です。
脊柱管が拡大されているのがよくおわかりいただけると思います。

独立行政法人 労働者健康福祉機構 関東労災病院
〒211-8510  神奈川県川崎市中原区木月住吉町2035
TEL 044-411-3131 FAX 044-433-3150     
info@kantoh.rofuku.go.jp

http://www.kantoh.rofuku.go.jp/index.htm

私の手術後は15センチぐらい大きさの傷跡が残り、
まだ皮膚が盛り上がっている。sさんはいろいろ、あちこち傷跡が在るのだろう。




私の「病院へ行こう」最終回

今日で、この連載は終わり。読んでくれた方、どうも、だらだらおつきあいありがとう。
5月15日(土)この日担当のs先生より外泊の許可が出る。なんと5日目だ。
5月16日(日)軽い散歩、もちろん、ぶぶと。コルセット付き。かなり疲れた。
心配を掛けている身内に外泊の許可が出たほど術後は快調だから、
予定していたお見舞いは、いいからと
電話する。友人にもその旨を伝える。
「新撰組」をまっすぐ見られる。(笑い)病室では寝転ぶから首が疲れる。
5月17日(月)ノートパソコンをバックに、なんか諸々詰め込み、
かなり重くなる。足がふらつく。痛みなしだが、
駅までの数100メートルがとてつもなく長かった。すこし傷跡が痛む。
少し不安に狩られ、タクシー乗り場まで。
5月18日(火)
担当のs先生に聞いた。「先生抜糸はいつ頃になりますか?」
「月曜日に予定してましたが、金曜日、抜糸、即退院でいいでしょう。」
オーマイゴッド!ついに退院決定!
この日は面会多数。先輩のGさんお見舞金いただくチャーシューメンつき。
娘も休暇でケーキと花をもってやってくる。夕方悪友Kまで。
病院を抜け出し、駅前の喫茶で話し込む。この時間は、
我ら二人なら冷えたビールをやっているころだったが。
5月19日(水)
宅急便手配。銀行。退屈で死にそう。
ナース達は私の退院情報が流れ、声を掛けてくれる。

5月20日(木)
退屈で泣きそう。単行本で気をまぎらわす。川上弘美って凄い。台風接近。
5月21日(金)
退院。短い間でしたが、
関東労災のs先生ほか医療スタッフの皆様、どうもありがとうございました。
そして、同室のI君,S青年,Sさんどうぞお元気で。いろいいろ楽しい想い出ありがとう!
私の「病院へ行こう」 - 完-
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第一回目の文中に出て来た『幸せの黄色いヒマワリロード』の向日葵は、結局数本だけ見事世話なく成長し、なかでも、この一本は一番大きく成長し、黄色い花を咲かせた。道筋一杯に黄色の色に埋め尽くすはずだったが、、、、、。

腰の病気はいつか通るみち、、、。
腰部脊柱管狭窄症について少しでもご参考になればと思い、アップした。
by bubupapa | 2011-01-22 01:02 | 散 文